自動車業界は今、電動化と自動運転に包囲されている。金属と半導体の塊がひしめく時代にありながら、ひとり頑なに木を使い続けるメーカーがある。イギリスのモーガン・モーター・カンパニーだ。
しかもそれはレトロ風デザインという懐古趣味ではない。本当に、ボディの骨格にアッシュ(トネリコ)材を組み、職人がハンマーで叩いてアルミパネルを張り合わせる。まるで戦前の工房がタイムスリップしてきたかのような製造工程を、2025年の今も守っているのである。百年続くその製法を確かめに、実際にマルヴァーン本社の工場へ足を運んだ。
そもそもモーガンが木を使い始めたのは、単なるノスタルジーからではなかった。創業当時の1910年の自動車づくりは馬車工房の延長線上にあり、木骨に金属外板をかぶせる手法が一般的だったのだ。アッシュ材は軽くて強靭で、加工しやすく、衝撃吸収にも優れていた。大量生産を志向しない小規模メーカーにとって、木材は最も合理的な素材だったのである。
しかし戦後、自動車産業はモノコック構造の量産体制にシフトし、木を使い続けるメーカーはほとんど姿を消した。そんな中でモーガンだけは頑固に木を残した。それがやがてブランドの象徴となり、伝統を守ること自体が商品価値へと変わっていったのである。
木造フレームを持つ新車など、世界中探してもモーガン以外には存在しない。にもかかわらず同社は消滅するどころか、むしろ熱狂的な支持を集め続けている。価格は決して安くなく、日常の実用性も他メーカーのロードスターに劣る。それでも買う人が後を絶たないのは、本物のクラシックを現代に体験できる唯一のブランドだからだ。
日本にも光岡自動車というレトロ風のデザインで知られるメーカーがある。しかし光岡が現代車にレトロな衣装をまとわせた存在なのに対し、モーガンはレトロそのものだ。だからこそ見た瞬間に他社製品と区別がつき、乗った瞬間に昔の車なのに最新のBMWエンジンが載っているという驚きが待っている。
かつて世界に覇を唱えた英国自動車産業は、ジャガーもロータスもベントレーもすべて海外資本の手に渡った。そんななか、モーガンだけがいまだ純粋な英国資本を掲げる最後の老舗として存在感を保ち続けている。逆張りにもほどがある戦略だ。だが、この逆張りが100年以上にわたってブランドを支え、モーガンを最後の英国資本スポーツカーメーカーに押し上げてきた。
大量生産でも電動化でも勝てない小規模メーカーが、なぜ木を武器に生き延びられたのか。その答えは、モーガンの歴史そのものに隠されている。
1909年、イングランド西部マルヴァーンで、H.F.S.モーガンは最初の三輪車を作り上げた。モーターサイクル用エンジンを前に突き出した独特の構造は軽快で安価、しかも税制上も有利で、瞬く間に人気を集めた。1910年に会社を設立すると、第一次大戦前までに千台以上を売り上げる成功を収めている。
やがて英国の自動車産業はオースチンやモーリスの大衆車からジャガーやベントレーの高級車まで、多様なブランドがひしめき合う黄金期を迎える。しかしモーガンは規模拡大に背を向け、1936年に四輪スポーツ「4/4」を投入してからも頑なに少量生産を続けた。
この方針は効率の面では時代遅れに映ったが、やがてブランドの武器となる。納車を待つ顧客のリストは長大化し、1970〜80年代には十年待ちとまで噂された。通常なら失望を招く状況が、モーガンでは希少性とステータスに転化したのである。
1991年にはBBCの番組『Troubleshooter』が工場を取材し、経営コンサルタントが「生産を近代化しなければ未来はない」と忠告した。しかし経営陣は真っ向から反論した。手作業による製造工程こそが顧客を惹きつけ、長い待ちリストは不況時に需要を支える緩衝材になるという論理だった。結果は驚くべきものだった。放送後、むしろ受注が増加し、評論家自身が「モーガンに関しては自分が間違っていた」と認めることになったのである。
大量生産や効率化を拒み、職人仕事を頑なに守る。この常識破りの姿勢こそが、モーガンを孤高の存在に押し上げた。
モーガンは伝統を守ることで成功してきたが、一度だけ近代化に挑戦したことがある。それが1963年のロンドン・アールズコート・モーターショーで発表された「プラス4プラス(+4+)」だった。
2025-08-26T12:12:47Z